満ちて欠ける

*満ちて欠ける




♪夜空に光る 黄金の月などなくても




年も明けたが、哀しいほどに感慨がない。
その思いは年々切実になり、
ついには恩讐の彼方へと消えてしまうのか。
今年もあらゆるものを捨て去るのがテーマだ。
記号化した日常、薄っぺらな夢、
おどおどした常識、遜った記憶の残骸、
それらが知らぬ間に胸のよりどころに溜まるのを、
仔細に眺め、懸命に排除し、
意気軒昂と振り払う。
歌は流れる、馬は走る、
地表は揺れ、星は瞬く、
ちょうどよいのはトンビで、
人はぜいぜいと息を切らす。


「月が地球をめぐるように、われらは何を成せというのか?」
ゆうべ、夢の中で白髪の老人に問われた。
わたしは言った。
「満ちて欠ければいいのです」
すると、老人は安堵するように微笑み、
暁の陽の射す荒野へと去って行った。


わたしは思う。
あれは月の使者ではなかったかと。
いいえ、ちがいます。
あれはわたしそのものだったと。
まばゆい夕陽が照らす空に影絵になったトンビが踊っている。
わたしは落とした杖を拾い、
目頭に涙が止まらなくなるのを両の手でおさえながら、
あの老人と同じ方角へと歩き始めた。

*夜






遠くに行こうと思ったけど、遠くには行けなかった。
エリンギとセロリを炒めたら、ほろりとした。
スピンオフの映画を見たら、がっかりした。
誰からもらったのかも忘れたイヤリングを、片方なくした。
不在着信が二件、迷惑メールが五件。
風が窓をゆする、風が窓をゆすった。
頬にあてたてのひらは、おもいのほか温かった。
そろそろ衣替えをしよう、と思った。
友だちから電話があり、さもないうわさを話した。
明日のランチの店を予約した。
明日着てゆく服はみつからない。
着信拒否が三件、返信のないメールが一件。
一か月ぶりに観葉植物に、水をやった。
少しだけお酒を飲んだ。
今日、遠くの町で災害があったことをニュースで知った。
代わる代わる不幸はおとずれ、
しあわせの代償にしている。
もうじき母の誕生日であることを思い出した。
ダイレクトメールが八通、請求書が二通。
歯を磨いて鏡を見たら、またほろりとした。
風が窓をゆする、風が窓をゆすった。
そばがらの枕で、眠った。

佐世保ふーりっしゅはーと

♪世界が終わるなんて予言は信じない
 光の帯の中で、君を抱きしめる










雲海の切れ間に浮かんだ孤島に漂着するように、
機体は上下しながら、
ゆっくりと海の上に滑り降りた。
空港ロビーを出ると、雄大な山の背が拝める。
しかし、旅人のかすかな期待を裏切り、
見る間に空は蒼白していく。
「やはりだめか」だれともなくつぶやき、
車は簑島大橋を渡る。


有田まで高速を駆け、白い暖簾はためく名もなき食堂で、
長崎ちゃんぽんを食す。
ついでに鯨の刺身も所望。
ソコハカトナイ味がする。


仕事を片付け、佐世保に逗留。
とんねる通りをひやかし、大箱の呑み屋へ。
透き通る真烏賊やらカワハギやらの白身
馬刺し、揚げ物などを肴に、
思う存分溜飲を下げる。


そして、老舗ジャズバーへ潜り込む。
カウンター越しにネオンに照らされた通りが見える。
喧騒の中、軋むレコードのように酔いがまわりはじめ、
狭い店内には、ダニーボーイが流れる。
軍港の町・佐世保は、ふるさとと同じ酒の匂いがした。


ここは世界の終わりである。
切立った丘陵から川のような光が海に流れ出す。
窮屈で下世話で、颯爽と風が吹いている。
乱暴で横着で、それでいてなつかしい。


ここは世界の終わりである。
夢の残滓が人々の寝息とともに海へと溶け込む頃、
私はひとしれず杯を上げ、
まるで今生の別れをする恋人たちのような甘い笑顔で、
旧友と乾杯した。

夏の終わり




夏の終わりは、だれもが感傷的になるものである。
否、なってもいいのである。
あんなに嫌味嫌っていた強すぎる日差しも、
蒼すぎるほど蒼かった空の色も、
いま飲み干したハイボールの泡のように消えてしまい、
何か大事なものを忘れてきてしまったような、
心にぽっかりと穴があいてしまったような思いだけが、
空になったグラスの底に残るのである。


夏はおじさんを少年に、少女を女に変える。
だから、私もまた郷愁のような思いを手放さなければならぬ。
あちらの世界からこちらの世界へ。
ゆっくりとソーダを注ぎ、
その飛沫に絡み取られるように琥珀が薄まるのを眺める。


虫取り網を持った少年が手を振って、笑っている。
私はとうにしわがれた手でぎこちなく応える。
セミの声はもう聞こえない。

モーニングバリ

*モーニングバリ




漆黒の夜が明けて、遠くの水平線が赤みを帯び始める。
まだ眠たい目をこするようにじんわりと時間は流れ、
人々に静寂なリズムを刻んで、ハンモックみたいに揺り起こす。
老犬が訳知り顔で海をみつめている。
私に気がつくと、憐れんだ表情を浮かべて駆けていった。
仕方ない。
ゆうべの喧騒を連れ去った白濁る波頭に足を入れ、
ついでに打ちひしがれた夢の残骸を流そう。
遠い異国のかなしみもここでは稀有な心配。
ただ起き上がるだけの勇気があればよい。
やがて波の音がこの耳にはっきりと響きわたれば、
どこかしこで祈り声も聞かれよう。


私は波間をつたって歩く。
ちょうど昨日と今日の境を歩くような気分で。
他愛ないヴァカンス、そして幾許かの慈愛に満ちたアペリティフ
投げ出された記憶、それから戻るサンライズ


風は椰子の木をゆすり、白い巨大な割れ門をくぐり抜けて
眠る街角へと舵を切っていく。
ドアをたたき、鼓動をノックし、鼻をくすぐる。
私は波間をつたって歩く。
砂浜に後悔のルージュを引くように。
この地にたどりついたはいいが、
この地から離れることばかりを考える。
人はちっぽけな理想を夜どおし夢見て、
朝日が昇るとともに抗う波に砕ける。
頭から抜けぬ棘はどこに行っても抜けぬものだと知るころには、
日はすっかり上がり、
またいつものリゾート然とした幸福が頭をもたげ始める。

さよならゲーム

*さよならゲーム





松井がメジャーに上がってすぐにホームランを打った。
今後どうなるかはわからないけど、
節目の試合での強さは相変わらずだ。


記事を読んで知ったが、それまで松井が汗を流した
レイズ傘下の3Aダーラム・ブルズは、
ケビン・コスナー主演の野球映画『さよならゲーム』の
舞台となった街だそうだ。


映画に出てくる田舎のボールパークは、
まさにアメリカ野球の原点といった感じでステキだった。
あんなボールパークが近所にあったら、
ぼくは毎日観戦に訪れるだろう。


何よりも野球がしたいといった松井にとっても、
そんな原点回帰になる機会になったと思う。


この映画の中で、コスナーは長年マイナー暮らしの
ベテランキャッチャーを演じている。
バッティング練習をする彼が様になっていて驚いた。
やっぱり野球はアメリカのものであることを諭すように、
しっかり肌になじんでいるのだ。


コスナーはノーコンだが将来を見込まれた投手を任され、
無事メジャーに上げる。
その裏で恋人だけでしか知らない3Aの本塁打記録を塗り替える
ホームランをかっとばす。


松井は将来を見込まれた若者ではなく、
3Aで本塁打を打つようなバッターではない。
抜けるような日差しと渇いた土くれに、
彼が何を見、何を肝に刻んだのか。
答えは自ずとスポットライトが照らしてくれるだろう。

アップルティとレモネード




ぼくのポケットの底はほころびていて、
よくモノをなくす。
それも、大事なモノばかりなくしてしまうので、
しまつが悪い。
あとになって気がついて、あわててポケットをまさぐってみるけど、
いつもあとのまつり。
みちばたに座りこんで、頭をかかえてみるけど、
大事なモノはもう戻らない。
あの、美しい羽根をひろげた春の陽光のように、
天使の輪っかのカタチをしてぼくを見下ろしている。
ぼくは自分のおろかしさと大事なモノをなくしてしまった贖罪に、
どうしようもなく不安になり、
どうしようもなく切なくなる。
それでも釣りあげられてしまった時鮭のように、
あきらめと後悔がまじった笑顔をうかべて、
時の流れをさかのぼる夢を見るしかない。
やっぱり、
ぼくは狂っている。


シーザはよくわすれる。
たとえば前に読んだ小説をもう一度買ってみたり、
先週お気に入りのシャツにシミをつけたりしたことも。
よくいえば気にしない性格なのかもしれないし、
わるくいえばあたまのネジがゆるいのかもしれない。
まるで子どもが公園でポイとボールを放るように、
何の躊躇もなく、何のてらいもなく、
いろんなことをかたはしから忘れてしまうのだ。
でも、ぼくにはそれがこの世の必然のように、
ときどきうらやましくなってしまうからふしぎだ。
シーザはよくわすれる。
春の陽ざしが急にかげりはじめるように、
秋のこがらしがコートをはだけるように、
無垢なこころがまるで真っ当であると諭すように、
おだやかでのんきなそのたちふるまいで、
ぼくを混乱させ、そしてときには安堵させる。


シーザはよくわすれる。
ぼくはよくモノをなくす。
そのどちらが正解で尊いことなのか、
ぼくは知らない。
今、うしなった痛みは、
まわりまわって、また疼きだす。
春の芽吹きみたいに、
シーザのおでこにできたにきびみたいに。
ぼくがきのうついたウソもシーザにはかやの外。
ぼくのポケットの底のほころびにも気がつかないで、
シーザは笑顔をうかべて、
さあ、あそびにいこうとぼくの腕をとる。
きびきびとした態度で春のあしおとにジャンプする。
だからぼくもつられて、足をふみだすみことになる。
アップルティとレモネード。
どちらが正解で尊いことなのか、
ぼくは知らないけど、
シーザにはきっとわかっているのだろう。
春の陽ざしをうけて、
やっぱり、
ぼくは狂っている。
でも狂っているからこそ、世界はまわりつづけ、
ぼくのポケットから大事なモノを拝借する。
それを意図的に、あるいは凡庸にふりはらいながら、
シーザの駆けていく背中がぼくには見える。