アナスタシア


♪肩にまつわる 夏の終わりの 風の中
まつりばやしが 今年も近づいてくる
丁度 去年の いま頃 二人で 二階の
窓にもたれて まつりばやしを見ていたね
けれど 行列は 通り過ぎていったところで
後ろ姿しか 見えなくて 残念だった
>>まつりばやし






いつしか陽は勢いを失くし、汐風がひんやりとシャツの袖を吹き抜ける頃、
彼がこの海辺の町に戻るのはわかっていた。
この季節、平日の昼間ともなれば店は開店休業状態に近い。
僕はテラスに出て、咲き誇るバラの香のように厚かましかった
夏の陽光を思い出し、
海をぼんやり眺めているところだった。
夕陽の中、海岸沿いの国道を見覚えのある影が
こちらに向かって歩いてくるのを確認すると、
僕はコーヒーを沸かすために店の中に戻った。
そして、また一年という月日が懲りもせずグルリと一周し、
落ち着いた風景を取り戻したことに、声にならない溜息をついた。


扉が開く。
ボストンバックを床に放り投げ、カウンターに腰かけた彼に僕は言った。
「ひさしぶり」
愛想程度に首を傾けたその目は、
往時と変わらず慇懃無礼な光を放っている。
だけど、少しだけ陰りを感じたのは、お互いに歳を重ねすぎたせいだろうか。
何も変わらないようで、それでも確実に何かは削ぎ落とされている。
僕はちょうど一年ぶりにそう思ってみたりした。
「元気か」
コーヒーを啜り、煙草を燻らせ、店のあちらこちらを見渡し、
壁に掛けた古いフォトグラフをひとしきり眺めると、
ようやく整理がついたのか彼は言った。
それから、毎年決まって吐く、「相変わらず時化た店だな」という
余計なセリフも忘れなかった。
しかるべく僕も続けた。
「ああ、なんにも変っちゃいないさ」
そして、彼はきっかり一年ぶりの笑顔を見せた。


翌日、陽が落ちると彼はやってきてカウンターに座り、
ひとしきりミント・ジュレップを飲んで帰って行った。
翌日も、また翌日も同じ。
まあ、これも好例でありミント・ジュレップも季節はずれではあるが、
思い出の酒だから致しかたあるまい。
しかし、例年以上に無口なのは参った。
僕がかける言葉にもどこか反応がとぼしく、
剥げたペンキの壁のように下を向いている。
片づけようとしたコリンズ・グラスには、
もう我々には不釣り合いな若芽の残り香。
宵闇が忍びよる、
息をそっと吹きかけるように、僕は目を閉じる。


風が吹く高台からアナスタシアの花束を投げた。
岩礁を突き上げる激しい波しぶき、
余興を買って出たのは、はぐれ飛ぶカモメだ。
近く遠く、悔恨の情を舞うと、やがて空に帰って行った。
我々は今年も、殉教者のようにそれを見守る。
手にした古いフォトグラフ。
失くしてしまったものは帰らない。
ミント・ジュレップの芳香のように。
だけど、人は記憶の薄墨を積み重ねるのが得意らしい。
「店を閉めることにしたよ」
「なぜだ」
「もう、いいだろう」
「オレはどこに帰ればいい」
その声は風に掻き消され、
そして、意外にあっさりと夕陽が足元に下りてきた。