十三夜奇想譚

hajimechan2009-09-23




萩の花、尾花、葛花、なでしこの花、おみなへし、また藤袴、あさがほの花












今宵は十三夜。
縁側にしつらえた月見の台に秋の七草を飾り、
月見団子を三宝に並べ、里芋、栗などの野菜を皿に盛り、
御酒を供えれば準備オッケー。
あとは夜空が澄み渡り、満月が顔を覗かせるのを待つばかりである。
「ふうむ・・・」

私は大きくひとつ息を吐いて膝をくずした。
その頃にはもう本戸樋まで夕陽が差し込んでいる。


いにしえより日本人は月を愛でる習慣がある。
月は我々の地球の唯一の衛星であり、大きさはほぼ地球の4分の1。
平均距離38万キロメートルのところを回っている。
しかし殆どの日本人は忘れてしまった。
痘痕模様だけでなく月には本当にウサギがいるってことを。
私の家系はそんな事実を知る数少ない種族として、
平安時代から代々ウサギを鎮めている。
こうした慣行もそのひとつであり、
ウサギの機嫌を損なわないために必要な供物なのだ。
もしもウサギを怒らしてしまったらと思うだけで鳥肌が立つ。
あの赤い眼がキラリと光るだけで、月の磁場を自由自在に操り、
日本にどんな天変地異を齎すのかわかりゃしない。
ただでさえクリスマスだ、ハロウィンだと騒ぐ輩が増えて、
年々ウサギを鎮めるのに苦労しているというのに、、、
まったく近頃の日本人ときたら、形式的な慣習が好きなくせに、
それをどんどん様式化して自分たちの快楽の方向だけに向けるのが得意ときてる。
「よいか、クリスマスだけは浮かれるでないぞ!」

今際の刻み祖父が忠告した言葉を思い出す。


宵闇がうっすらとした雲を剥ぎ取り、しめやかな夜風が縁側に吹き抜ける頃、
衣擦れの音を響かせて綾姫さんがやってきた。
彼女と私はいわゆる触媒の役目を果たす。
私が繭となり、彼女は糸を紡ぐ。
つまり、合い揃って初めてウサギにコンタクトできるというわけ。
何の因果か私たちはそうした役割を先祖代々継承してきた家系なのだ。
そう、好むと好まざらずとも・・・。
「あんじょう仕度は整いましたか?」
綾姫さんは射抜くような眼差しで私を見やる。
それから厚く羽織った着物の帯を解き、
巫女が着るような赤と白の儀式衣装を露わにする。
凛と立ったその姿は神々しいまでに美しい。
正直、私はこうした慣行には辟易していたが、
このときばかりは我が身の幸運を感じる瞬間だ。


夜空には左端が少し欠けた満月が青く瞬いている。
綾姫さんは月見台の前に立ち、両の手を月の面に向かって差し出す。
すると月は今、本来の支配者たる尊厳を思いだしたかのように膨張し、
不気味な輝きを増し始める。
「月月に月見る月は多けれど、月見る月はこの月の月」

彼女は月に向かって手を合わせ、歌を唱える。
それから、能楽のような舞いを踊り始める。
月あかりに映し出されたシルエット。私は、暫し見惚れる。
昔から月の周期は女性の月経に例えられるように、
女性と月の満ち欠けには神秘的な縁があるのだ。
彼女の手が天に放たれるたび、ふわふわとした気持ちになり、
笙の音が周囲に木霊し、月に昇るような純粋な高楊感を味わえた。
やがて綾姫さんは振り返り、私に手招きする。
背後に浮かぶ赤い満月はさらに巨大化し、今にも二人を呑み込んでしまいそうだ。
月月に月見る月は多けれど、月見る月はこの月の月
彼女は歌い、私の唇にそっとふれた。
「まただ・・・」私はかすれてゆく意識の中でそう思う。


♪私を月へ飛ばして
 そして、星々の間で遊ばせて
 木星や火星の春がどんな風になっているのか
 私に見せて欲しいの
 言いかえると私の手を握って欲しいってこと
 つまりそれは、私にキスしてってことなの


気がつくと、虫の鳴き声がする。
深まる夜の冷え込んだ秋風が体に伝わり、私はくしゃみをして飛び起きた。
元に戻った満月がすまし顔で夜空に掛かっている。
綾姫さんの姿はもうどこにもない。
ハラホロヒレハレ
私は身支度を整え、半身でもう一度月を眺めた。
「ねえ、お祖父さん。あなたもそうなのですか?」と私は訊く。
「あなたも綾姫さんの前では無力な亀だったのですか?我が身の宿命に翻弄され、辛く苦しみ、
少しだけの抱擁の後で、あなたはこんな風に呆けていたのですか?」
これからもずっとまるで待宵のように、十五夜と十三夜の間をさ迷い、
ススキの穂のように夜風にさわさわと吹かれている。
ただ迫りくる満月への畏怖と綾姫さんの開いた口元を夢見るように。
私はいつものようにそう尋ね、障子の戸を閉めた。
それから、もう一度くしゃみをして床に入った。
だから月見の夜は風邪を引いてしまう。